11月22日(水) 2日目
ホテル海楽は一日5,000円で軽のワゴンを貸してくれる。マニュアル車の古い車両だが,島は火山ガスと強度の酸性雨で車は一年半くらいでかなり腐食してしまうらしいので贅沢は言えない。
島を反時計回りに回ってみることにした。

これは道路の反対側にあったもの
一日に七度色を変えるといわれた神秘的な新澪池も,1983年の水蒸気爆発で一瞬でなくなってしまった。
今は,湿性二次遷移が進み,多年生草本や低木の植生になっていた。
本来新澪池は阿古高濃度地区になっているため,車を降りてはいけない。
三宅村の施設アカコッコ館。館内には野鳥を観察するスペース,故ジャックモイヤー博士の功績をたたえた展示がある。
アカコッコ館では職員の方に話を伺った。
話はこちら。
三宅島の簡易水源にもなっている,大路池。渡り鳥のオオバンがやってきていました。双眼鏡を通した画像なのできれいではありません。

ジャックモイヤー博士も愛した長太郎池海水浴場。2000年の噴火で地盤地下が起こり満潮時にはかなり波が来るようになってしまった。
ひいきにしていた旅館の元美晴館
坪田地区をしばらく進むと,三宅島空港の新しい待合室があった。
旧待合室は坪田高濃度地区に入ってしまっているかららしい。
三宅島空港ギャラリー
写真は島を二周目に撮ったものも入っています。
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![]() 火山ガス,酸性雨で腐食してしまったのでしょうか |
![]() 腐食してしまい見えなくなっている地図。 今はなき村営牧場の文字が。 |
三宅村営バスの車庫があった。三宅村営バスは2000年の噴火以降,都営バスの無償譲渡を受けた。正面エンブレムと,運賃箱が替えてあった。
三宅村営バスギャラリー
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かつての三宅島の表玄関,三池地区。今では坪田高濃度地区に指定され人は住むことができない。
今では,定期船はよほど風向きの悪い日以外はほとんど錆ヶ浜港に入港する。
![]() 女という文字だけ残っている商店 |
![]() 皮肉にもプロペラ機さえ来なくなった |
![]() 活気があったみやげ物屋なども廃墟になってしまっている |
坪田高濃度地区には言葉に詰まるような無惨な廃墟の街並みが続く。この地を去った人々の気持ちが無関係な私にも伝わってくる。
![]() ところどころに砂防堰堤(えんてい)がある。 堰堤には,流れを緩やかにするはたらきがある。 |
![]() 誰も住んでいない坪田高濃度地区。かつては民宿もたくさんあり活気があった。 |
![]() 火山ガスと酸性雨で木々は白樺のようにみんな白くなってしまっている。おそらくみんな枯れてしまっているのだろう。 |
坪田高濃度地区にはヒンズー語で「地獄」の意味であるサタドー岬の灯台がある。
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火ノ山峠展望台,昭和37年に一夜でできたひょうたん山,三七山と溶岩流の名勝地がつづく。
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神着地区や伊豆地区は比較的噴火の影響を受けていない地域で,伊豆地区には避難施設も存在する。
![]() かつて昭和天皇も泊まった,元三宅島観光ホテル |
![]() 充実したスーパー正大ストアー |
![]() 美しい黒い砂浜が続く大久保浜。沖合には神津島が見える。 |
伊豆岬には明治42年に初めて点灯した白い灯台がある。
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阿古集落は,1983年の噴火でおよそ400戸の民家が溶岩にのまれて埋まってしまった。その中に,阿古小学校,阿古中学校もある。
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夕陽が美しいメガネ岩。結構な高さで,荒波が打ち寄せ,恐怖を感じる。
![]() 1643年3月31日(寛永20年2月12日〉の噴火でできました |
![]() 片側は1962年(昭和37年)の噴火の際に壊れてしまいました |
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三宅島のおみやげの定番,「牛乳せんべい」の岡太楼本舗。残念ながら閉店していました。
この後レンタカーにガソリンを入れて返すのだが,なんと1リットル193円。輸送効率を考えると仕方ないのだろう。
三宅島を二周してみて,あらためて自然の美しさ,噴火の被害を目の当たりにすることができた。
これからも,三宅島の復興,自然の再生を考えてゆかないといけない。